2013/06/11

漁村の軒先に作られたツバメの巣を想い出す・・・



1982年ル・マン24時間レースで貰った記念品(ワイン試飲容器)
主催者ACO” Automobile Club de L'ouest”の彫刻入りを灰皿に使い、
乗馬用アブミをパイプ・スタンドに利用している。


もう今は、マッチを使った事の無い人の方が多いだろう。
かって、マッチは貴重品であり必需品だった。

写真のマッチは私の故郷で造られている。
マッチ箱の隅に書かれた製造会社の住所を見て私は驚いた。
故郷の生家から10キロほど離れた小さな漁村だ。
これまで日本でトップシェアを誇る有名なマッチ製造会社、
兼松日産農林株式会社(リンク)の生産工場が、
あの小さな漁村に在る事を私は知らなかった。

明治38年創業のこのマッチ工場は100年もの歴史を持つ。
現在はハイウェイが出来て工場の近くを通らないが、
昔、この工場に通じる海岸沿いの道を、
若かった私はベレットGTをぶっ飛ばしていた道だ。

創業時から使用される商標とパッケージデザイン。
ツバメ印・象印・桃印・馬首印・タケノコ印・エビ印。
これら商標の図柄は明治時代に作られ現在も使用されている。
故郷に、こんなに誇り高い企業が存在したのだ。
私は嬉しくなって、いつも100円ショップのレジスター横に
置かれたツバメ印マッチを全部下さいと買占める。



日本のマッチ(リンク)は、1876年フランス留学から
帰国した清水誠氏が東京でマッチの製造を開始。
明治維新で没落した武士階級救済のための授産産業として
推奨され各地に工場が設立された。
そして、神戸港を持つ阪神地区を中心に一大輸出産業に発展。
大正初年には、生糸・茶・銅と共に生産量の80%が輸出され、
スウェーデン、アメリカと並び世界三大マッチ生産国になった。

そして現在、生活様式の変化などにより
1970年をピークに国内の使用量は10%以下に落込み、
日本人一人当たりのマッチ使用本数は年間100本程度。
ピーク時は100社を越えていた生産会社も
今では20社足らずになっていると言う。


大学の頃、私はマッチ会社のデザインで小遣いを稼いでいた。

まだ、住所や電話番号など小さな文字も活字を使わず、
細い筆で(面相筆)手書きしていた頃である。
苦労して習得したその技術は後になって大きく役立った。
私がデザインした心斎橋の有名な理髪店の宣伝マッチは、
当時のままで1990年代まで使われていたと聞いた。

やっぱりパイプに火を点けるのはマッチが相応しい。
マッチの穏やかな火を眺めるのも喫煙の一部になるからだ。
そして、私が最も好きなのはツバメ印マッチ。
瀬戸内海の穏やかな漁村の軒先に作られたツバメの巣の中で、
パクパクと口を開けてエサを欲しがていた子ツバメ達を
懐かしく想い出すからだ。

今は、無人で荒れ果ててしまった故郷の生家だが、
帰ろうかなあ~



2 comments:

mizuno masao said...

Keiji 様
今年も、事務所のガレージの上に、燕の巣がかけられ、一生懸命卵を抱いておりました。昨日見ると、5羽のヒナが孵っており、親ツバメが代わる代わる餌を引切り無しに運んでおります。この巣を狙って、近所のノラ猫とカラスが、、、。
昨年は、このどちらかの餌食になり、卵の時に巣を荒らされてしまいました。今年こそ、全員安全に、巣立ちをと、祈りつつ見つめているこの頃です。
ツバメつながりで、、、、。miz

pepekeiji said...

Mizuno Masao 様

事務所ガレージにツバメの巣、いいですね〜

昔、人間の身勝手な分類で「益鳥」「害鳥」と分けられ、
ツバメは益鳥の代表、もっと多く飛んでいたと感じます。
飛翔技術が凄いので好きな鳥でしたが、
気温が低い冨士山麓に来てからは見る事も無くなりました。

ツバメの帰巣本能による帰還率は47%だそうですが、
マッチの絵を見て私も帰巣本能が甦るのか
最近、故郷を想い出すことが多くなりました。
年齢のせいでしょうか・・・


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