大昔、ユーノス・ショールームで個展を開いた時の絵。
古いライトウエイト・スポーツカーを可能な限り、
自身のノウハウでチューニングして
ヒストリックカー・レーシングを楽しむ。
日曜日はトラックにマシンを積んで
レースコースに出掛けるのが好きだった。
昔はヒストリックカーレーシングのレベルは低かった。
昔はヒストリックカーレーシングのレベルは低かった。
エンジン・チューニング関係の書籍を読みあさり、
自分で出来る加工や調整はガレージで徹夜で行っていた。
特殊な設備や機械が必要な時は、
知合いの修理工場に持込んで道具を借りたが
老整備士がお金も受け取らず協力してくれ教えて呉れた。
お小遣いは全てクルマに注ぎ込んでいた。
ステアリングを切ったままで路上に停車すると
タイヤの薄いサイドウォールが波打つ
レーシングタイヤG5を穿くのが私の誇りだった。
今回、あの頃を想い出しながら高野山まで往復した。
もう、積載車を高野山まで運転する自信は無かったが、
往復の運転は、友人・佐藤さんが引き受けてくれた。
往復の運転は、友人・佐藤さんが引き受けてくれた。
XK120はフェンダーにワイヤーが干渉するため
ウインチが使用出来ず固定は厄介である。
4輪のスピンナーにベルトを掛けて前後に引き固定する。
アンクラ社のタイタウン・ベルトは持っているが、
もう、ラチェットの使い方も忘れていた。
積込みは、友人・三浦さんが完璧に固定してくれた。
イベント終了後、私がベルトを掛けたが、
若い頃の自信が甦っていた・・・
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