2012/08/11

まさしく、フォーレの「夢の後に」の虚無だ。




ロマン・ビシューヌの詩にガブリエル・フォーレが
曲を付けたと言う有名な「夢の後に」。
日本の映画などで悲しい場面によく使われる曲だから、
ご存知の方も多いだろう。

夢の中で恋しい人と共に光りに向って飛び立つが
目覚めと共に消え去ってしまう悲しみの詩。
映像では、次々と降り掛かる悩みや願望に翻弄された後、
結局は現実の自身に戻ってしまうと言う
人生の虚無を描いている様だ・・・

グランドピアノが置かれた天井の高い部屋の贅。
ヴァイオリンを弾くジャニー・ジャンセンの優美な姿。
エルミタージュ美術館で絵画を見ている様な錯覚と、
ゴダールの映画を観ている様な錯覚との狭間で、
虚しく、僕は夢から覚める・・・

結局、西洋のクラシック音楽は西洋人の音楽で、

現在の日本社会の環境では、あまりにも場違に感じる。
日本にはクラシック音楽の愛好家が多く、
海外の名演奏家達の稼ぎ場になっていると聞く。
しかし、西洋音楽の根底にある宗教的背景を異にするが故の
美学に対する感覚的相違は決定的と言わざるを得ない。
厳密に言えば、如何に日本人が演奏技術で優れていようとも、
西洋音楽が持つ微妙な根源的ニュアンスまでを
演奏し表現することはDNAが変わらない限り不可能なのだ。
明治時代の鹿鳴館に象徴される模倣文化の域を、
全てが西洋化した現代も超えてはいない。
むしろ酷くなっている感じさえする。

それは音楽に限らず絵画や工芸など美学に関する
全てのモノに共通する尺度の相違として現れている。
悲しいが、来場者が殺到していると聞くスカイツリービルや、
NHKの紅白歌合戦が現実を象徴する。
これらのレベルが現代日本の美意識なのだ。

まさしく「夢の後に」の虚無だ。アハハ・・・


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