1968年、僕は東京に流れて来て麹町に住んでいた。
その頃は学生や市民の激しいデモが日常化していたが、
1969年の国際反戦デー闘争は凄かった。
国会議事堂に近かった麹町マンション7Fにまで、
機動隊が撃つ催涙ガスの臭いが登って来た。
デモの女子学生は舗道の敷石を剥がし金槌で割り、
その敷石を男子学生は投げて武装した機動隊と戦った。
新宿駅東口でも毎夜の様にジグザグ・デモが行われ、
駅前の道路はデモの学生達が占拠して、
催涙ガスが立ち込めていたが解放区の様だった。
まだ日本の若者達は、憂国の熱い血を燃やしていた。
あの頃の高邁な理想は何処へ行ってしまったのだ・・・
文化人がたむろした新宿「ナジャ」や「どん底」に、
僕は憧れて恐る恐る毎晩の様に出掛けた。
あの頃の新宿は革命前夜の様な興奮に包まれていた。
僕の胸も希望に満ち満ちていた・・・。
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4 comments:
その頃は学生運動盛んで赤軍、革マル、中核他色々あり興味深々でした。東京の友達と日比谷公園での集会に行ったり、新宿騒乱(友人は逮捕され2ヶ拘留)機動隊との応戦で道路を割、石の投げあい、放水車、何しろ凄かったですねー。新宿はフーテンの集まる風月、サイケなジェラハウス、安くて美味しい鶴亀食堂、色々思い出します。100%野次馬でしたが!
S-GERUさん、
その頃、お会いしたかったですね〜
革命は、100%野次馬の力により達成されるのです。アハハ
もともと「和をもって尊しとなす」のひ弱な農耕民族で、
責任回避のために「話合い話合い」の無責任な日本人。
歴史的に始めて決起した「体制への抵抗」だったのに・・・
あの頃の極端な弾圧が、現在の幼児社会を生んだ原因かも?
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その為か60歳を超えても、益々幼児性が酷くなり周りから呆られております。もう今更直す気はありませんが、反省しその気になっても無理です。
通常、高年齢に達すると幼児に帰ると言われますが、
でも、貴方はまだ60才代とお若い。
多分、貴方の日本人離れした精神性が、
幼児化した日本では理解されないからでしょう。
反省が必要なのは、むしろ周囲の方々でしょう。
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