BMW M12/7エンジンに使われたMARLEの超軽量合金製。
名エンジンチューナー:ケン松浦氏の文字だろうか、
クラック・ 518g の文字が手書きされて残されている。
当時、冨士GCを戦ったニコル・レーシングのクルーだったが、
その頃の戦いの臨場感を残そうとオイルで汚れ燻ったままで、
ガレージを飾る想い出深いオブジェとなっている。
38年も昔のマーレー製レース用ピストン&コンロッド。
短いスカートは極限まで削ぎ落とされコンロッドは板の様だ。
正しく20世紀を代表する芸術作品である。
下は僕のXK120のピストンリングを交換した時の写真。
こんなピストンで1950年のルマン24を12位入賞と言うから驚く。下は僕のXK120のピストンリングを交換した時の写真。
当時はレーシングカーと市販車の区別は無かったから、
ドーバー海峡を渡り自走してルマンに参加したのだろう。
この健闘がXK120をベースしたレーシングカーCタイプへと発展、
1951・1953年のルマン24連続優勝に繋がった。
そして、1955・1956・1957年とDタイプでのルマン3連勝。
やっと英国でジャガーがサラブレッドと認められたのである。
名車と認められる条件は、今もルマンでの勝利なのだ。
現在でも一般車はXK120 と同じレベルのモノが使われているが、
レース用やポルシェGT3用のピストンを見たいと思っている。
それは、今の世を覆う商業主義に左右されることなど絶対に無い、
究極を目指した孤高な芸術作品だから・・・。
...
4 comments:
showです。
こんばんは。
山の広場で遊んで頂きありがとうございました。
それにしてもゴールデンエイジに造られたパーツ達は、心にグッと来るものが多いですね。夜中にこっそり磨いて楽しむ人達がいるのも、良く理解できます。
私も製造から50年以上経過したエレクトロニクスパーツをとても大切にしています。
また次回もよろしくお願いします。
Showさん、今日の山の公園はキリ雨でした。
頂いた自動車工具のカタログ、欲しい工具があるのですが、
以前の様に自分ではやらず人任せになったので
眺めて楽しんでいます。
ミリタリーのカタログではTraserの夜光時計と、
ロシア陸軍将校用の毛皮の防寒帽が欲しくなりました。
驚いたのは中国人民解放軍の装備、
あんなカッコいい立派なモノを使ってるんですね〜
Steely Danの”CONFESSIONS" 洒落た構成とジョーク、
とても楽しく拝見しました。
いろいろと有り難うございました。
また、お会い出来る日を楽しみにしています。
今日も貴重な品を拝見させていただきありがとうございます。写真からも苦みばしったオイルの匂い(香りですね)を感じます。
XK120のピストン、1本のみでしょうか?ピン下にもオイルリングがあるのですね!
M12/7、鍛造ピストンらしいグレーの色合いと、極限に挑む2本リングに鳥肌立ちます。
わたしも愛車のエンジンパーツ(に限りませんが)は、やはり捨てられません。
GCシリーズは出走車種や仕様、カラーリングが個性豊かで、当時のF1に勝るとも劣らない存在感を感じていました。
M.N.さん、
M12/7のピストン、美しいですよね。
裏側の造りの凄さやMAHREの文字やシリアルNo.なども
出したいのですが、興味を持つのは僕だけだと止めました。
僕のXK120は、筑波トロフィーでの0-400m公式タイム17"25 。
得意になって、和歌山空港滑走路を使った公式0-400競争で
エンジンブローさせ、OHした時の写真です。
ピン下の黒い線はリングがバラバラになって付けた傷跡です。
GC時代は名前だけのチーム監督、ピットで頑張っていました。
マイナーツーリングをトムスのスターレットで走る友人も居て、
仕事よりもFISCO通いに明け暮れる楽しい時代でした。
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