2012/01/10

クランクを手回してエンジンを始動した昔。




氷点下15℃程度の寒さが続き雪に被われる冨士山麓の冬。
もう春までジャガーXK120に乗る事も無いから、
暖かいグランドオートさんの工場に保管して貰うため
今日は引取りに来ていただいた。

ヴェトロモンターニャから帰ってから約2ヶ月。
冷却水の凍結によるエンジンやラジエーターの破損を防ぐため、
不凍液を多く入れたがエンジンを回さず置きっ放しだった。
オイルも固く凍りセルモータも頼りない音を立てたが、
チョークを引いたら簡単にエンジンは始動した。

最近の人達には理解出来ないだろうが、
昔はバッテリーの比重が下がらないよう毛布を巻いたり、
朝は気化を良くするためマニフォールドにお湯をかけたものだ。
今はロングライフクーラントが出現して進化したが、
不凍液など無かった頃は、寒冷地での夜は車の冷却水を抜いた。
その後、不凍液が出たが防錆剤が混合されていなかったので、
12月になるとラジエーターを洗い不凍液を入れる車で
ガソリンスタンドが混雑したものだった。
また冬用に点火時期を下げタペット調整するのも常識だった。
今も、このXKエンジンのブロックとラジエーターに付いている
水道の蛇口の様な水抜き用コックは必需品だったのだ。

40年も昔、家を勘当され東京に出て来た頃、
よく冬の朝はベレットGTのクランクハンドルを手回して
エンジンを始動したことを想い出す。
チョークの引き具合とクランクの回し方にコツがあった。
あの頃はバッテリーが高価で僕には買えなかった・・・



...

16 comments:

S,K said...

keiji様
ベレット1600GTがクランクハンドルでエンジンが掛けられるとは知りませんでした。ブルーバードの310辺りまではナンバープレートの裏側にクランク用の穴が開いてたのは知ってましたが。昨年亡くなった父から「クランクハンドルを回す時には気をつけないと顎や親指の骨を折る」なんて話を聞いたことを思い出しました。寒冷地では夜にオイルパンの下にローソクを灯してオイルが硬くなるのを防いだなんて話も聞きました。バブル時代に車に乗り始めた
僕には知る由もありませんが、専門知識がないと車に乗れなかった時代が羨ましくもあります。

K.Keiji said...

S.Kさん。

昭和40年のベレGはナンバープレートが蝶ネジでとまっていて、
裏のバンパーにクランク用の穴がありました。
ホイールも14インチで翌年から13インチになりました。
甲州街道・調布のアパートに住んでいましたが、
どうしてもエンジンが掛からない時は第一小学校向いにあった
三菱ディーラーのメカに来て貰ったりしたものです。
オイルパンの下にローソクを置いた話は始めて聞きましたが、
当時はB5版の「自動車工学」なんて雑誌を愛読していました。
SUキャブには小さなポンプレバーがあって、ガス欠した後など、
300回くらいレバーを動かしガソリンをエンジンに送ったり、
パイプから吸ってガソリンを呑んでしまったりしました。
その頃の知識は今のXK120の故障時に役立っています。

S.K said...

keiji様
昭和40年当時にベレGに乗ってらっしゃったんですか~
さぞおモテになったんでしょうね。
SUキャブのポンプレバーのくだりは経験者にしか語り得ないお話ですね。最近の車は電気仕掛けが多く、バッテリーが上がってしまうとどうにもなりませんね。先日も友人の車がタワーパーキングでバッテリーが上がってしまい、ジャンプを試みました。ところがバッテリーがトランクにありケーブルが届かず、そこで人力で押そうと考えたのですがパーキングブレーキもシフトレバーも電気スイッチになっており解除出来ないんですねえ~。結局ディーラーの人に来てもらいました。

K.Keiji said...

S.Kさん、
ベレットは発売されて直ぐ1500の2ドアを買ったのですが、
1ヶ月で全損事故。GTが発売されたので買換えましたが、
道楽が過ぎて勘当されました。ハハハ
当時、4輪独立懸架の車はベレットしか無かったので、
ベンツと同じ足回りと言われていました。
レース様に用意されたステージ3のサスにチューンし、
ヘッドを削り圧縮を上げ、マニホルドのポート研磨は
夜な夜な自分でやり、バルブの擦り合わせなどやりました。
まだ個人所有の車は少なく「自家用車」と呼んだ時代です。

タワーパーキングでバッテリー上がり!
人事と笑ってられ無いですね〜。気を付けなければ・・・

S.K said...

keiji様
1ヶ月で全損とは悲しいですね。お怪我はされなかったのですか?昭和40年頃は大卒初任給が一万五千円前後ですよね。その頃の「自家用車」は羨望の的でしたでしょう。
ベレットが4輪独立懸架だったとは知りませんでした。
てっきりブルーバードの510が国産初だと思ってました。ベレGや117クーペは当時の国産車の中では垢ぬけたデザインですね。今見るとボディの小ささに驚きますが。

K.Keiji said...

S.Kさん、
淡路島にある1m20cmの防潮堤の上に乗上げ車の腹で20m走り、
道路側に落ちて松の木に衝突する大事故でした。
その時の防潮堤の傷跡は、何十年も残っていました。
僕は鼻をホーンリングで切り美貌を損なってしまいました。
ハハハ

ベレットは、後輪横置きリーフスプリングのスイング・アクスル。
3ステージにチューンすると車高が下がり後輪が八の字に開きました。
後続車の運転手に「サスが壊れてるよ」とよく声を掛けられました。
その後に乗っていたスピットファイアーも横置きリーフでしたね〜
サーキットのコーナーでは、少しずつハンドルを修正する
ソーイングと呼ばれたテクニックを必要としました。

当時の日本車は世界に追い付けで頑張った時代。
シルビア、コスモ、なども良かったですね〜

S.K said...

keiji様
そんな大事故でよくぞご無事でした。
鼻を切らなかったら映画俳優として活躍されたんじゃないですか~。交通事故が社会問題化し始めたころですかね。佐田啓二さんの自動車事故も同時代ですよね。

「ソーイング」ですか~はじめて聞きました。昔の車はエイヤッとばかりノンパワーのステアリングを切り、蛮勇まかせで走るものかと思ってました。無知ですみません。

初代シルビアはカッコいいですね。実車は見た事ありませんが。

K.Keiji said...

アハハ、日活の渡り鳥シリーズの田舎のチンピラ役程度? アハハ
運転免許書が二つ折りで、違反が手書きで一杯書き込まれてました。
ターナス、コルチナ、ボクスホールなどはお医者さん用、
ポンティアック、プリムス、キャデラックは代議士や会社社長。
アメ車のコンバーチブルは芸能人が多かった記憶があります。
ローンなど無い頃で(銀行保証の丸専手形だ一般的だった)
ムスタングはアメリカのOLでも買えると聞いて驚いた時代です。

ブルーバード、コロナ、ベレットが60万円台、ベレGTは90万円台。
TR4やMGBが120万円台だったかなあ〜

S.K said...

keiji様

あ~渡り鳥シリーズですか。終いまでは見た事ありませんが。「自動車唱歌」を歌ってた人が主役ですよね。

スピットファイアーが気になって、実家の物置から「CARグラフィック」の1963年8月号を探し出し試乗記を読みました。カッコいいですね~。「深夜の銀座か何かでセダン相手にドラックレースを愉しむ輩には向かないが、スポーツカーを本来の目的に使うスポーツマンには、この小さなスピットファイヤーは100%満足を与えるだろう。」と小林彰太郎さんは締めくくられていますが、当時の状況が分からない僕にはいまいちよくわからないですね。

ムスタングは(最近はマスタングらしいですが)映画「男と女」の主人公が乗ってる車ですよね。いいですよね~
欲しいです。

K.Keiji said...

スピットファイアーは僕にスポーツカーを教えて呉れた車です。
1500OHVエンジンは非力だったのでシフトワークは巧くなりました。
ロータスヨーロッパはスピットファイアーのバックボーン・フレーム
を流用していたほど、軽く剛性に優れていました。
このスピットに6気筒エンジンを搭載し、ルマン24を戦った
スピットファイアーGT6は、当時の僕の憧れでした。
スピットファイアーをセダンにしたヘラルドや6気筒を積んだビテスも
今でも買い戻したいほど魅力的でした。

映画「男と女」のムスタングは、カッコ良かったですね〜
初代スカイラインGTBのボンネットが長い箱形の姿は、
ムスタングのパクリ・デザインだったと思います。
映画の中で、モンテカルロラリー表彰式を抜け出し、
彼女の居るパリまで帰る道中の深夜のガソリンスタンドに憧れ、
深夜の国道1号線を神戸から東京まで走ったりしました。ハハハ

S.K said...

keiji様
神戸~東京間を1号線でですか~。凄い気力と体力ですね。以前、神戸への出張の際に車で行ってみた事があります。夜8時ごろに東京を出て翌日の午前2時ぐらいに神戸に着きました。もちろん高速道路でしたが、疲労困憊でした(軟弱ですね。しかも移動車はメルセデスのSクラスだったのにかかわらず)。

スピットファイヤーがルマン24に出場していたとは知りませんでした。ドライバーは過酷ですね~。

ヘラルドは父も乗っていました(むろん僕の生まれる前の事ですが)。ボディカラーは薄い水色です。keijiさんは
ブラウンですよね。父も大変気に入っていたようで、よく
ヘラルドの話をしてました。

スカイラインGTBはムスタングより新しいのですね。
なんだか古臭いデザインの車だと思ってましたが。

映画「男と女」はフランシス・レイの音楽も素敵ですね。
「ある愛の詩」もフランシス・レイでしたよね。
主人公の父親役のレイ・ミランドがジャガーのEタイプに
乗っていました。素敵でした。

K.Keiji said...

東京ー神戸間をメルセデスSクラスで疲労困憊?それは軟弱。
今でも僕はXK120で冨士ー和歌山を往復するんですよ。ハハハ

まだ名神は岡崎まで、関東は横浜バイパスしか無かった頃です。
深夜の箱根峠はトラックの渋滞で明るく美しかったですよ。

ルマン24のスピットファイアーは6気筒(GT6)でした。
確かクラス優勝してると思うのですが・・・

お父様がヘラルドに乗ってらしたのですか・・・
ベビーブルーと呼ばれた薄い水色、オシャレですね〜
まだ英国のヘラルドのカタログを何種か持ってます。

「ある愛の詩」のMG-TCもさることながら、
最後に登場するキャメルコートのレイ・ミランド。
少し離れた所に停めたE-type、あれは12気筒。
外国映画は、俳優以上に車が大きな意味を持っていますね。

dinoplex said...

keiji大兄
雪はまだ地面を覆ってないのですね、降り積もった頃また遊びに行きたいです。
昭和40年のベレGにそんな仕掛けあったんですね、子供の頃に発電機がロープを引いてエンジンをかける方式でなかなかかからずに苦労した覚えがありますが自動車のエンジンとは比べ物にならないでしょうね。

K.Keiji said...

dinoplexさん、

今年は何だか寒さが厳しいためか雪は年末に少し舞った程度。
全てがカラカラに乾いて凍っています。
ぜひ、2月に入れば雪びなるでしょうからお出掛け下さい。
ディノ君が喜びますよ。レース・シーズンが始まる前に。
雪遊びの後の雪毛玉が大変ですが・・・
ロータス・フォーミュラー操縦のお話、楽しみにしています。

s-geru said...

ご無沙汰しております。車止め使って頂き有難うございます。すごく嬉しいです。XK-120春まで一緒でないので寂しいですねー。僕は乗らなくても家にいないと情緒不安定になります。べレットのコメントのやりとり本当に懐かしく良き時代でした。以前にアイビーの所のコメントに投稿致しましたが、あの時代の車が最高でした。色んな場面を想いだし胸が熱くなります。話は変わりますが先日バイクで自宅近くを走行中300SLとすれ違い慌ててUターンし家を突き止めました。素晴らしいですねー。芸術品です!!高貴すぎて声を掛けれなくて後悔しております。最近近所で色々クラシックカーが増えたのは、電気自動車に魅力を感じない人なのかなーと思います、昔のトヨタ2000GT,実際はYAMAHA2000GTですが、電気のトヨタ2000GTは僕は馬鹿げていると思い理解出来ません。今年も誤字脱字多いと思いますが、思った事を即送信いたします。お許し下さい。

K.Keiji said...

s-geruさん、

毎年、お正月の10日頃に年賀状を親しい方のみに出していたのですが、今年は体調を崩し時期を逸してしまいました。早春状に代えて差し上げたく考えています。
今月末にはココも雪に被われます。淋しいのですが、ポルシェも可哀想なので仕方なくXK120を工場に預けています。
確かにクラシックカーが増えましたね。実用車と趣味車を区別出来る社会になったのでしょうね。デジタルの時計が世に出た頃も手巻きのアナログ時計が復活するなんて思いもしませんでしたが、若い人達の間でクロノグラフとは言えスイス腕時計ブーム。服は化学繊維よりもウールですし、文明の進歩と人間の進化のスピードが違うからかも知れません。懐古趣味ではなくて、人に喜びと親しみを与えるモノはカーボンやプラステプラスチックではなく、鉄や木や皮など自然素材。量産品じゃなく手作りなんだと、産業界、特に車メーカーには気付いて欲しく思いますね〜

Post a Comment