2011/10/25

スチュードベーカーとレイモンド・ローウィ



1953 Studebaker Commander Starliner

Raymond Loewy
日本の車愛好家はアメリカ車を不当に評価する傾向がある。
戦後、急激にクルマが普及し大衆化した社会背景や、
カーグラフィックやカーマガジンなど車雑誌の欧州車に偏った編集が、
車愛好家を歪にしてしまったのだろう・・・

しかし、欧米ではアメリカン・クラシックスは高く評価される。
特に税制の関係で大排気量車が少ないフランスで評価は高い。
文化的背景の度合いや第2次大戦の影響があるのかも知れない。
デュッセンバーグ、オーバン、ピアスアロー、マーサー、スタッツ、
など戦前の名車は別格だから縁遠い存在としても、
1950〜’60年代のアメリカ車は素晴らしい魅力を持っていた。
欧州車の様に小排気量で高効率を発揮させる技術を無視していたし、
広大な国土を走る設計が、狭い国土の日本で不向きだったとは言え、
日本車はアメリカ車を真似て自動車生産大国に成長した。
また'50/'60年代は、フェラーリ、メルセデス、ジャガーなども
アメリカ人受けのする設計で大半を対米輸出していた。

大学の頃、緑色のスチュードベーカーによく乗った。
それは親友 丸山君の親父さんのクルマだった。
当時、日本人は進駐軍の払下しか買う事の出来ない時代だった。
昭和35年の頃、まだ新幹線も無く、高速道路も無かった。
東京オリンピックが開催されたのはその4〜5年後だった。
自家用車(当時の呼び名)なんてほとんど走っていなかったが、
国産車より中古のアメリカ車の方が多かったと記憶する。

丸山君がフェリーボートに乗って僕の田舎に来た時、
まだ舗装されていない砂利道で A 交通のバスに追突した。
(まだ日本の多くの道路は未舗装で砂埃が酷かった)
スチュードベーカーのフロントに付くオーナメントの尖った星が
バスの後部バンパーを二つに切り裂いてしまった。
それほど当時のアメリカ車は頑丈だった。
バス会社の弁償などを祖父の会社の運送係に頼ったが、
僕達は大目玉を食らった記憶が甦る。

スチュードベーカーの流れる様なストリームラインは、
他のアメリカ車全てが鈍重に見えるほど先鋭的だった。
まだインダストリアルデザインなんて言葉は一般的では無かったが、
それが紺色のピ−ス(タバコ)の「平和の鳩」をデザインした
レイモンド・ローウィの作であると聞かされた。

コカコーラ、タバコのラッキーストライク、ピース、
ガソリンスタンドの「シェル」などをデザインした
商業デザイナー(当時の職業名としての呼び名)
レイモンド・ローウィの名は日本の多くの人が知っていた。

...

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