2011/07/27

源氏物語の空蝉を想う。


庭のモミジの枝で羽化したばかりのセミが、
まだ飛べずに前脚を動かしている。
田舎育ちなので子供の頃はセミ捕りに明け暮れたが、
こんな瞬間を見たのは始めてだ。

このセミは人の顔に見える背中の模様から、
ブナの林などに生息する6cmと大型のエゾゼミだ。

源氏物語の「空蝉(うつせみ)」を想い出した・・・

空蝉を想い光源氏が詠んだ和歌。

「空蝉の 身を変へてける 木の元に 
なほ人柄の 懐かしきかな」

脱ぎ捨てられた空蝉の衣を眺めながら、
まるで蝉が脱皮して飛び去る様に、
貴女は衣だけを残して去って行ってしまったが、
この衣には貴女の温もりが残されている。

掛詞:「ひとがら」という詞には、
空蝉の「人柄」と「人の抜け殻」という
2つの意味が含まれている。

この歌への空蝉が詠んだ返歌。

「空蝉の 羽に置く露の 木がくれて 
忍び忍びに 濡るる袖かな」

貴方を無視し続けていましたが、
情熱的なお気持ちを秘かに嬉しく感じ、
思わず涙が袖を濡らします。

掛詞:「羽に置く」という詞には、
透明で透き通っていて人目に付きにくい
「蝉の羽」と「木の葉に置くツユ」の
2つの意味が含まれている。

つくづく思う、平安時代も現代も、
人の心は変わてはいない・・・
...

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