2010/08/15

平和を祈りながら



1945(昭和20)年8月15日は日本が無条件降伏し
第二次世界大戦が終結した日である
戦死者は約212万人 空襲による死者は約24万人だった
この悲惨な傷跡を決して消し去ってはならない

戦歿者を追悼し平和を祈念しながら
僕は軍人だった父が残した軍刀を手入れする
銘は「助宗」刃渡り71センチの軍刀拵えの太刀である
父は銘刀「国春」を携え出征し戦死したが
祖父が父の少尉任官祝いにと贈った
この刀だけが家族に残された

中学の頃 「お前の父親だ」と母から渡され
この軍刀に恥じない生き方をしなさいと諭されたが
それは出来ているだろうか・・・


誤解の無い様に書きますが
かって日本の刀剣は武器としてでは無く
サムライの精神性の象徴でした
現在では世界に誇る
日本の伝統工芸美術品として
高く評価されています

刀剣類登録済は勿論です

...

8 comments:

ジェームスボンド・007 said...

敬愛するkeiji大兄へ
貴兄のブログに何度か登場する、この軍刀に関する記述を拝読し、貴兄の骨格の背骨を拝見するような気がしております。

所有する事、錆をさせない・・・・永遠に使用することがない武器・・・美術品のレベルに昇華させた武器。・・・日本刀。
実用品の武器ではなく、日本人特有の「精神性を象徴化する道具・祭器」に貴兄の美学を見たような気がする。

我が愛用の拳銃・ワルサーPPK/べレッタには美術品の要素は無い。
ただ、硝煙の匂いがするだけ。

ジェームスより

pepekeiji said...

..

ジェームス殿

ご貴殿が愛用されるワルサーPPK/ベレッタ
その乾いた硝煙の残り香は
まさしく煩悩の後に悟る「虚無」の香り

夏の日の昼下がりボランジェ・グラン・ダネを傾け
過ぎし葛藤の日々を偲びながら
発射された弾道が一瞬に切り裂く空気の振るえに
人の世の儚いまでの非情さと美しさを見る

一発の弾に込められた「男の覚悟」
トリガーを引く指に集中する「男の行為」
ピストルと言う私的な西洋の武器に
日本刀剣に宿る同じ精神性を見る

ゴールド・フィンガーより

..

pepekeiji said...

追記

当方の背骨は背骨でも、
英国の古い軽量スポーツカーが採用した
X 型のバックボーン・フレーム。
故に、常にバツ(X)的な振舞いに満ち
反省・後悔に苛まれる背骨。
所詮、重厚な古典的ハシゴ型フレームや
昨今の合理的軽量モノコックフレームには
太刀打ち出来ません。

ジュームスより said...

ゴールドフィンガーさま
昔、鍛え上げたサスペンションが今日までの俊敏さを支えているように拝見しておりますが、いかがでしょうか??

オックスフォード&ケンブリッジの対抗戦に見る、エリート養成所としての教育・鍛錬の賜物と推察しておりますが・・・。

英国諜報部員・ジェームス・ボンドより said...

ゴールドフィンガーさま

keiji様の発言にあります・・・・・・・・X型のフレームですが、気骨・反骨という名前の骨組の総称です。
時代に逆らって、毅然として存在感を示して欲しいと思うのは、私、ジェームスだけでしょうか???

時たま、見せる鋭い日本刀に似た切っ先鋭い世相へのコメントは、keiji様の所有する日本刀と同様のキレ味を感じております。
道具は所有者の人格をも表すようです。

いかがでしょうか???ゴールドフィンガーさま、ご貴殿のKeiji氏の人物像は??

小生、ジェームスは、職業柄・・・そのような気配を察知しております。

pepekeiji said...

..

英国諜報部員ジェームスさま

さすがジェームス様、Xが気骨・反骨の総称とは知りませんでした。
単に「バツ」の意味として使った不明を恥じ入るばかりです。

ただ、小生のX型フレームは軽量化とコスト削減を意図した程度のモノ。
急激な社会変化に対応し難い時代遅れのシステムに加え
永年の酷使で経年疲労も激しく、ブザマなヨロケが発生ぎみです。


当方が得た秘密情報の分析によるKeiji氏は
貧馬ロシナンテに打ち跨がり、従者サンチョ・パンサを従えて
遍歴の旅を続けるドン・キホーテに憧れるアナクロ的な単純人間。
我もと従者ぺぺを従えて、現代と言う巨大な風車に突撃するなど
幼稚度96、頭脳明晰度2など、危険度は0レベル。
当方の要注意人物リストからはすでに削除されています。

ゴールドフィンガー

...

Anonymous said...

鍋島です。お久しぶりです。

実家にも日本刀が三本ございます。
父母が骨董品屋を経営していたので父が譲りうけました。 良い剣は進駐軍に鞘を没収され残った剣は残念ながら鞘がございません。
ただ特筆すべき点は、同田貫が一本あります。
ご周知のとおり、通常の刀は人を一人切ると刃が毀れて使いものにならず、この点同田貫は戦から戻ってくる事を思い作られたと聞いたことがあります。 戦場で散るのではなく帰ってくる思想が日本人にも在った事は感慨深い思いがします。
戦いが全ての終わりでは無い。 平和を祈って。

pepekeiji said...

...

鍋島さん、お久しぶりです。

ホウ〜「同田貫」!玄人好みの渋い一振りですね〜
この同田貫には色々と興味深いエピソードが多く興味が尽きませんね。
名刀の拵えは立派ですから鞘を進駐軍に没収されたのは惜しまれます。
でも刀身が残されたのは何よりでした。

以前は刀剣が趣味(古刀が好み)で鑑賞会にも出席していたのですが、
10年経っても駆け出しと言われる世界、
用語も難しい漢字が多くて挫折してしまいました。ハハハ

「同田貫は戦から戻ってくる事を思い作られた・・・」
切銘の藤原正国や上野介が有名ですが
肥後の刀工達には、そんな願いが込められていたのですか・・・
良いお話を聞かせて頂きました。

Post a Comment