2012/08/09

1945年の夏を、僕は忘れない。



未だ、人間は過ちを繰返し心から懺悔する気配は無い。
何と言う愚かさ。あれから67年もの月日が流れた・・・
当時、大人達が話す「B29が落とした特殊爆弾」。
その恐怖は、6才の僕にも伝わった。

広島市。1945年8月6日午前8時15分。
爆撃機エノラゲイがウラン型原子爆弾を投下。
長崎市。1945年8月9日午前11時2分。
爆撃機ボックスカーがプルトニューム型原爆を投下。


映像はオランダ映画サスキンドからの音楽。
アムステルダムの劇場マネージャー:サスキンドが、
何百人もの子供達を救った実話だと解説されている。
映画「戦場のピアニスト」と同じ様に、
勝者側の偏ったプロパガンダ映画の様に思えるから、
僕には許し難い内容だろう。
しかし「国益」の為と言う言葉によって翻弄される
一般の人々の悲しみは同じだ。

美しいオランダの若いヴァイオリニスト、
ジャニー・ジャンセンの奏でる音楽が素晴らしい。
日本では公開されたのだろうか・・・


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2 comments:

mizuno masao said...

keiji 様
おっしゃるように、自分も忘れないようにしている事が,沢山あります。今の日本人は、忘れてはいけない事(と思われる事)を、いとも簡単に忘れ去りすぎるように思ってます。ドイツ等の追及の仕方を、見ていると、、、。今一度、大切なもの、失ってはいけないものを、確認したくなりました。ありがとうございます。mizuno

pepekeiji said...

MIZUNO様、コメントありがとうございます。

明治維新以降、追い付け追越せと有頂天になり、結局は敗戦。
その総括も戦勝国任せで曖昧に、経済成長が全てと有頂天になり、
今また破滅の道に向っている状況を憂います。

エネルギー問題を経理的視点でしか思考判断出来ず、
何故、代替エネルギー開発による経済発展を志向しないのか、
歯痒い思いです。

占領軍による愚民化政策の結果なのでしょうか?
豊かな自然と海に守られた島国の楽天的民族性ゆえでしょうか?

唯一の被爆国として、世界に貢献したいと言う願望が、
青臭い理想主義!の一言で否定される社会に絶望しています。
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