2012/05/24

僕の挿し絵が始めて印刷された頃




大学では国文学を専攻していたが
絵描きになりたくて公募展には出展していた。
丸く巻いたキャンバスを「チッキ」にして夜行列車に乗り、
上野の展覧会場前で100号のキャンバスを張り
仮縁を打ち付けて搬入していた。

当時、列車の客室に持込めない大きな手荷物は、
手荷物の預り証を意味するCHECKから「チッキ」と呼んだ。
今も飛行機では使う別送手荷物と同じである。

公募展での入選やコンペでの受賞は何度かある。
新聞の地方版に紹介されたこともあったが、
そんな程度では生活が出来る収入など得られないから、
印刷会社に就職しデザインの仕事をした。

神戸に多かった商船会社の200頁程度の会報の制作を
目を掛けてくれた社長が、僕を鍛えようとして任せてくれた。
若かったから自由奔放に編集や装丁を試みることが出来たが、
印刷工場の職人さん達とはよく言い争った。
職人さん達に教えられた印刷技術のノウハウは、
その後の仕事で僕を大きく助けてくれた。

まだ、活版印刷が主流だった時代である。
印鑑の様に文字を彫った四角い鉛棒を熟練工が一字一字拾って、
木箱の中に並べて文字組をしていた頃であった。

生まれて始めて自分が描いた挿し絵が、
印刷され製本されて本になった時は無性に嬉しかった。
上のイラストはその頃の拙い挿し絵の一枚である。
昭和36年、1961年の初夏だった・・・


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    2 comments:

    V-img said...

    私はこの「画」がとても好きです・・

    pepekeiji said...

    V-imgさん、ありがとう。
    このイラストは、新日本汽船株式会社が出版していた
    「辰友会誌」の目次ページに使ったモノです。
    辰馬本家汽船部が前身だったので「辰友」なのでしょう。

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