2012/03/07

映画「キリン Point of No Return」。



夏木陽介先輩が照れくさそうに渡してくれた映画のDVD。
「暇があったら見てくれ、最近撮った映画だ」と言う。
DVD表面には映画「キリン」と書かれている。
キリン?変な題名だから「どんな映画なの?」と聞くと、
先輩は「バイクの映画だ」とボソッと答えた。

若く才能溢れる大鶴義丹氏が企画・脚本・監督した、
原作600万部を数える伝説のコミック
「キリン Point of No Return」を映像化した作品である。
当然、先輩は俳優:夏木陽介として出演しているが、
その気取りの無い男っぽく暖かな雰囲気を醸し出す演技は、
僕が知る普段の先輩そのままであった。

若い俳優さんやタレントさんは多い日本だが、
夏木先輩の様な風情を出せる年配の俳優さんを僕は知らない。
それは先輩のクルマやバイクへの深い愛情と経験。
年季の入ったライディング・テクニックや、
苛酷なパリダカール・ラリーに10年間も挑戦し続けるなど、
俳優としてでは無い経験が培った男の深みなのだ。

夏木先輩の若い頃は、それまでの俳優さん達とは違い、
ノートンやトライアンフで撮影所に乗り付けると書かれた記事や、
羽田への高速道路で曲乗りする写真などが掲載された雑誌を、
バイク好きだった僕は憧れて見た記憶がある。
しかし、俳優 夏木陽介が映画界で一世を風靡していた頃の姿を、
洋画しか観なかった僕はまるで知らなかった。
20年程前、高野山のイベントへの参加をお願いした頃、
まだ先輩はトライアンフでバイク屋に出掛けたりしていた。
そして先輩とは毎日の様にクルマ談義を楽しんだ。
今回のバイク乗りの若者達に一目置かれる大先輩の役柄。
それは、夏木陽介自身の姿なのだ。

バイク好き垂涎の伝説的バイク「カタナ」と、
かって僕が愛したポルシェカブリオレと同じ930クーペが
登場するから色々と映画の感想などを語りたいが、
鑑賞の妨げにならないように控えよう。
ただ、アイツは「バイク乗り」とか「ポルシェ乗り」などと
仲間内から憧れと畏敬の念を持って呼ばれる様な男、
そんな男のみが醸し出す「独特の凄み」が見事に描かれていた。
3月3日より全国で上映されるそうだ。
ぜひ観て欲しいと願っている。


僕はカミナリ族末期のカミナリ族の端くれだったから、
映画「キリン」は若い頃を想い出させた。
日本のバイクが世界を圧巻する切っ掛けとなった
英国マン島TTレースにホンダが初参加した頃のことだ。
”The Isle of Man Tourist Trophy Race”
日本のホンダが世界のホンダになった、あの日。
あの日以上に僕は日本人である事を誇りに思った事は無い。

1959 Honda RC142 Racer

写真は:谷口尚巳氏。1959年、初参加にも関わらず、
マン島TTライトウエイト125ccクラス6位入賞。
また上位入賞者のみに与えられるシルバ-レプリカトロフィーを獲得。
同じく第一回マン島派遣メンバーとして選出されながら、
事故で他界された秋山邦彦氏の遺影を抱いての走りだった。

まだ敗戦から立上がったばかりの貧しかった当時の日本は、
外貨持出しが制限され海外渡航が自由化されていなかった頃である。
敗戦国への冷たい視線の中、心細さに耐えながら果敢に走った
彼らの心意気を思うと、今でも僕は胸が熱くなる。

「世界を制覇して、日本人に夢と誇りを取り戻したい!」
創業まもなかったホンダ社長 本田宗一郎氏がミカン箱の上に立ち、
全社員を前に世界一宣言「マン島TTレース参戦」を告げた。 
しかし、当時の日本のバイクはまだ自転車レベル。
レースへの出場経験も無く試行錯誤と苦労は想像を絶し、
世界中から馬鹿にされながらのマン島への挑戦だったと言う。
宣言から5年後の1959年、ホンダはマン島TTレースに初出場。
1961年6月12日、ホンダは公約どおり初優勝を果たした。
125CC、250CCの両レースでの優勝でもあった。
ホンダの名は世界に轟き、日本中がこの壮挙に歓喜した。


...

10 comments:

s-geru said...

日本映画はほとんど見ないのですが、これは絶対に見たいし、必ず行きます!僕もバイクが好きで、中学の時は、ランペットがカッコいいと思い、授業中に、ランペットの絵を書いていた事を、思い出します。高校に入ればCS90を勝うと、約束していたのですが、土壇場になり危ないからと、エレキギターに化けてしまいました。その後は車に目が行きバイクの事は忘れていました。60歳になり、親友の形見として、CD50カフェーレーサーを譲り受ける事になり、それから火がつき、SRをペイトンプレイスでカフェーレーサー仕様で粋っていましたが、振動が激しくアイドリング停車中に倒れセパンが壊れ為ノーマルハンドル、ステップに戻しました。僕はヤマハ、カフェカフェーレーサーフアンです。この歳になってもSRに乗ると無茶をしてしまいます。

jage1175 said...

以前、私が車をレストアする場所を提供していただいている整備工場へ
大鶴義丹氏と桐島ローランド氏がロケハンに来られ、車の話で盛り上がった
ことを思い出しました。気さくな方でマネージャーの方が次のロケハンへと
呼びにこられても、ちょっと待って、と言ってかなり長く話されていました。霧島さんはTR3を所有していて、スタジオに置いてあるとか..

pepekeiji said...

S-GERUさん。
白いポルシェに乗っていた頃、よく高速道でバイクに纏わり付かれた事があるのですが、今にして思えばこのキリンの影響だったんですね〜

主役の「クロード真木」がシブくファンになってしまいました。
今もBMWでココを訪れるバイク好きの親友が居るのですが、内心は止めて欲しい気持ちです。周囲はバイクに乗った事の無い四輪ドライバーばかりですから・・・。
S-GERUさんも、SRで無茶は止めて下さいネ。

バイクは純粋でイイですね。
リッチでも無いのにリッチ面したヤツや、女を意識したカッコだけのBENZ/BMW/FERRARIが居ないから・・・

pepekeiji said...

大鶴義丹氏と桐島ローランド氏、
まったく僕は知らない人達ですが、有名だそうですね。
この映画で始めて知りました。
ただ、人気コミックを映画化する感覚を見ると、
メジャー志向の今風の方達なのでしょうね。

tac-me said...

はじめまして、tac-meと申します。S-GERUさんに憧れて背中を追いかけるそのさなか、Keijiさんのブログを紹介して頂きました。コメントは初ポストですが、いつも楽しみに拝見させて頂いております。
最近私と同年代の若造がすっかりバイク離れしておりますが、私はバイクが大好きで、日本の誇る名車「YAMAHA V-MAXの89年式北米仕様」に乗っています。日本人のアメリカに対する「アメリカを走るバイクはこうあるべき」という強烈なメッセージを、当時の技術を集結して具現化したバイクがV-MAXだと思っています。そんな日本が世界に誇る名車だからこそ、私はこのバイクに乗っております。
ホンダのマン島TT優勝に言及した記事であったため、このような私のバイクに対する想いとの共通項を感じてポストさせて頂きました。大変恐縮ながら今後もコメントをさせて頂きますので、どうぞ宜しくお願い致します。

pepekeiji said...

TAC-MEさん、はじめまして。

コメント有り難うございます。北米仕様のYAMAHA V-MAX !!
物凄いバイクにお乗りなんですね〜
日本が誇る名車として”V-MAX”に乗られている、との一行で、
TAC-MEの理想の大きさやお人柄などを察しました。
これを機に、どうぞよろしくお願いいたします。

バイクに乗るには歳を取り過ぎた僕ですが、今もバイク好き。
四輪車は女子供でも簡単に運転出来ますが、
バイクは、ライダーとバイクが一体にならなければ走らないし、
技術や経験を要求される所が好きな理由です。

V-MAXのお話など、いろいろとお聞きしたい気分ですが、
S-GERUさんを通じて、いずれお会い出来るかも知れませんね。
このブログには、ご遠慮無くコメント頂ければ幸いです。

s-geru said...

若いTAC-ME(匠)君からのkeijiさんへの投稿嬉しく思います。彼は東京出身で、昨年W大学を卒業し就職の為、大阪赴任となり、元気一杯の元ラガーマンの好青年です。最近は車にも興味を持ち素晴らしい若者なので、今後共宜しくお願い致します。

pepekeiji said...

S-GERUさん。

TAC-MEさんは、あの勇猛なW大の元ラガーマン! 凄い。
そんな頼もしい方が、S-GERU一家には居たのですか・・・
さすがと言うか、貴方を見直しました。
今後、どうかお手柔らかにお願いいたします。

s-geru said...

言葉足らずですいません!大学ではしておりませんが、中高をかの有名な横浜Tでの所属です。歳の差はありすぎますが、大変気のあう熱い心を持った、素晴らしい友人です。

pepekeiji said...

いずれにしても、元ラガーマン。
熱血漢であることには変わりありません。
元ラガーマンと言うだけで、
その方の全てが解ります。

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