2011/08/15

66年前のあの日。


あの頃の写真を見るのはあまりにも悲しい。
あの頃を想い出すのはあまりも辛い。
今日は大事な放送があるから家に帰れと先生は話し、
家ではラジオの前に正座させられ玉音放送を聞いた。
小学1年生の僕に、その意味は解らなかった。

その後、僕の田舎にもアメリカ兵がジープで来て、
軍靴のままで家中を丹念に調べて行った。
怒りに振えた母は、アメリカ兵の目前で彼らの靴跡を
ホウキで掃き出し毅然と抵抗した。
軍人の家庭だからと特別に武器の有無を調べたのだろう。
父の形見の軍刀は母の実家に預けていたが、
押入れの中の油紙に包んだ猟銃が見付かるのではと、
たたただ僕は怯えていた・・・。


昭和20年4月12日、250kg 爆弾を胴体に抱き出撃する
陸軍第20振武隊穴沢利夫少尉の一式戦闘機「隼」Ⅲ型甲。
桜の小枝を打ち振って見送る女学生達。
挙手の礼でそれに応える穴沢少尉(中央大学卒23歳)。
陸海軍約4,900有余名の若き勇者達が
特攻攻撃でレイテや沖縄の空に散華した。

2 comments:

赤の’57 said...

はじめてコメントさせていただきます。
赤の’57と申します。
自分と同じ歳の1957年モデルのカルマンギアに乗っています。
私もブログをやっておりまして、私のブログの読者の方からこちらのサイトを教えていただきました。
知的でおしゃれな内容にたちまちファンになってしまいました。
差し支えなければリンクを張らせていただきたいのですがよろしいでしょうか?
これからも楽しみに読ませていただきます!

W.K. said...

赤の’57さん、コメントありがとうございました。

1957年のカルマンギア、ホワイトウォールのタイヤが
赤いボディを際立たせて、素敵ですね〜
本来はニースやカンヌなどリビエラに似合うのでしょうが、
カルマンギアと言えば一世を風靡したアグネス・ラムを想い出し、
南国の夕暮れを走る姿を想像してしまいます。

また、ご丁寧なリンクのお申出、嬉しく感じました。
どうぞよろしくお願いいたします。

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